平成6年にエクステリア専門店としてスタートしたベストホームグループは、現在ではリフォームや不動産事業に加え、介護事業や住まいのお困りごとサービスを展開してきております。そんな今、これから人生100年時代に向け、今まで以上に地域密着・人生密着からお客様に喜ばれ続ける企業としての飛躍を目指して行きたいと考えております。
創業は1995年。当時はまだ一般顧客を対象としたエクステリア専門店があまり存在しませんでした。カーポートや門扉を必要とする人は、ホームセンターに行くか、新築時ならハウスメーカーなどを窓口として求めていらっしゃいました。
証券会社では、訪問販売を経験。家を一軒一軒まわり、商品の案内をすることが日常でした。起業したエクステリアの仕事でも同じ方法で市場の開拓をはじめました。販促としてチラシを新聞に折り込むことも試みましたが、建材の価格をわたしたちは詳しく知らないことからも想像がつくように、エクステリアの価格をあまりオープンにする慣習が業界にはなかったため、価格の入ったチラシにいい顔をしない同業者もいらっしゃいました。
「当時バブルが弾けたこともあって、いくらいいと思う金融商品を売っても、株式市場の下落は自分の力ではどうすることもできませんでした。お客さまに申し訳ないというもどかしさを抱えながら証券会社を辞めました」。そして「エクステリアの専門店の提案を、ホームセンターの価格で」をモットーに掲げ、事業は軌道に乗り始めました。
創業からしばらくは、先頭を切って営業をしていました。「自分についてこいよという姿勢でやっていましてね。ついてこない社員がいると頭にきて、ガンガンと怒鳴っていました」。社員の査定は、売上の数字。売上至上主義と言えるムードが存在しました。
実績が上がりだしたころ、デザイン性を追求するようになり、創業して5年ほどが経過したときでしょうか。エクステリアってもっとおしゃれなものじゃないの?という疑問に当たりました。ちょうど、デザイン性の高い仕事を求められるお客さまの声にも敏感になっていた時期でした。
やがて、ナンバー2の育成に注力しはじめましたが、彼にばかり目が向いて、全体を見失っていた私がいました。業績を伸ばそうと部下に無理を強いるナンバー2を、かばいさえし、社内がぎくしゃくしていても、自分の使命は右腕の育成だと信じて疑いませんでした。経営者としての経験のなさだったと思います。そうしているうちに10人まで増えていた社員が、離れだしました。
「いつまでもこのやり方は続かない」。数字に追われる社員の疲弊ぶりを見て、そう直感しました。決定的な出来事があったのです。それはある現場にトラブルが発生し、社員が総力戦で納めたことです。
それぞれ自分の仕事があるにもかかわらず、他のスタッフの現場を気遣い、何とか「ベストホーム」としての信用を守ろうとやり遂げました。みんなでなんとかしようという姿勢に、この時ほど感謝をしたことはありません。社員に対する感謝の気持ちは、私の社員の評価方法の変化につながりました。
わたし自身、厳しさで会社をつくってきた先輩からの教えを守ってきたところがありました。目をはなすとサボるのが人間なんだから、と管理するやり方ですね。でも、自分にはそのやり方は向いていないのだと気づきました。
不足を叱り満たすのが組織運営ではなく、良さの集合体が企業の強みであるという見方に変わったところに、現在のベストホームの原点はあります。
そこから評価指標はがらっと変わりました。まず、個人プレイからチームとして動くことを基本とする体制に変え、「チーム理念」を掲げました。「私たちはお客さまに最善の喜びをご提供するために集まったチーム・ベストホームです」。そして「お客さまの喜びの声を頂くことが、私たちの仕事の誇りです」と続きます。「お客さまの喜びの声」こそが、現在のベストホームを貫く最大の価値観であります。
「お客さまの喜びの声」が反映されるアンケートには、営業や職人さん、店舗スタッフなど、全員の名前と写真が入った用紙を添えています。お客さまはそれを見ながら、顔しか覚えていなかった人の名前も正確に書くことができるからです。
「休憩の時に職人の○○さんにお茶を出したら、お礼の手紙を添えて返してくれた」とか、「庭木の名前を小さいわが子が読めるように平仮名で書いてくれた。子どもが一生懸命読んでいます」という声をアンケートにいただきます。お客さまが喜んでいただくことがやりがいだという社風に変わってきました。
お客様にとって生涯で最も大きな買い物である「不動産・住宅の売買」を安心してお任せ頂けるよう、お客様に徹底的に寄り添い、お客様の身になったサービスに努めることをお約束いたします。
私どもは、お引き渡し時にお客様の満足が頂点に達することを目標にしております。